2016年3月21日月曜日

【二五五文字書評】歌うクジラ 下/村上龍


どうした村上龍。こんな予定調和へ、物語を導く作家じゃないはずだ。上巻は実験的でもあり、読みにくいが熱量は高かった。下巻の前半も、それなりの熱量を保っていた。でも、後半は駄目だ。登場人物が主題を語るのは目をつぶるとしても、説明ではなくもっと巧くやってほしかった。物語を、物語として続けて欲しかった。閉塞感とその打破を書き続けてきた村上龍らしからぬ着地に不満を感じるのは、俺が氏のファンだからだろうか。しかし村上龍も「生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ」なんて事を、ストレートに書くようになったのだね。



【ネタバレ注意】
ラストの場面を除けば、よくできた物語ではあるんだよね。『愛と幻想のファシズム』のラストでも、同じような印象を持ったんだけど……両作品の共通点といえば、連載作品ということなんだよね。単純に連載の最後まで、テンションを保つことができなかっただけなんでしょうかね。
書き下ろしの『イビサ』なんかは、本作と同じように何者かに導かれながら移動を続ける物語だけど、最後まで見事な緊張感を保ってるしね。

大切なことを理解した。ぬくもりも音も匂いもない宇宙の闇の中で、気づいた。生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が全てを生み出すのだ。(『歌うクジラ 下』より引用)

全体を通してあまり主体性を発揮しなかった主人公が、出会いに関する気づきを得て、旅の中で出会った二人に再び会いたい、生きていたいと願う場面は、ベタだと思いながらもジーンときた。
やっぱり村上龍は、ロマンチストだな。

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