2012年2月21日火曜日

【二五五文字書評】春琴抄 (新潮文庫)/谷崎潤一郎


「谷崎=マゾヒズム文学」のイメージしか無かったけど、これはもう「純愛」って事でいいですよね? 春琴と佐助は何人か子を設けるが、いずれも貰われていく。(一人は死別)しかし、二人に未練はない。あくまでも尽くし尽くされる事こそが愛であり、愛の表現としての肉体関係や、愛の結晶としての我が子にすら興味がない。故に純愛。体の関係ですら、献身の一つの形でしかないんでしょうね。肉体関係がない事をもって純愛と呼ぶのではなく、肉体関係をはじめ何事にも依存しない愛を純愛と呼ぶのかな……などと、純愛の定義まで考え直してしまった。

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